昼下がりの台所に、コトコトと小さな音が響いていた。
蓋の隙間から白い湯気が立ちのぼり、鼻の奥をくすぐるのは、甘辛い醤油とだしの香り。
母が作る「しいたけと鶏肉の煮物」は、いつも夕方になると家の中心にあった。
岩手の冬が近づくと、外の空気は少しずつ湿り気を帯び、薪ストーブの煙があちこちから上がる。
学校から帰るころには、指先がかじかんで、吐く息が白くなる季節。
玄関を開けると、台所の奥から湯気と一緒にあの香りが漂ってきた。
「今日、煮物だよ」
母の声に、なぜか胸の奥があたたかくなった。
大きめに切られた鶏もも肉と、丸ごとのしいたけ。
醤油とみりんの甘辛い汁が、煮詰まるにつれてとろりと艶を帯びていく。
箸でしいたけを持ち上げると、じゅわっと汁がこぼれ、口の中に広がる森のような香り。
あの頃のしいたけは、いつも肉厚で、少し噛むだけで旨味があふれた。
森と人がつくる「岩手のしいたけ」
しいたけは、岩手の森が育てる宝だ。
県内では、久慈・盛岡地域など、北の方の地域で主に栽培されている。
春と秋、とくに今の季節は「原木しいたけ」の旬。
木を寝かせて菌を打ち、雨や朝露、森の湿度を吸ってゆっくりと育つ。
地元の人たちは、しいたけの傘を見ただけで「これはいいやつだ」とわかるという。
傘の裏のヒダがきれいで、肉厚で、香りが濃い。
それは、山の水と空気、そして人の手が揃ってこそ生まれる味。
市場に出回る前に、しいたけは一枚ずつ丁寧に選別される。
大きさや形ではなく、“香りと弾力”を重視するのが岩手流だ。
時には、生産者が「このしいたけは、鍋に合う」「これは焼くといい」と教えてくれる。
まるで一本一本に個性があるかのように、森の記憶をまとっている。
寒さのはじまり、鍋に浮かぶしいたけ
岩手の寒さが深まると、食卓には鍋が増える。
寄せ鍋、きりたんぽ風、味噌仕立ての野菜鍋——
どの鍋にも、しいたけが静かに顔をのぞかせている。
鍋の中で熱を帯びたしいたけは、まるで小さなスポンジのように出汁を含み、
ひと口噛むと、スープの旨味がじゅわっとあふれる。
鶏肉や豆腐、春菊の香りともよく馴染み、しいたけがあるだけで鍋全体の味がまとまるのだ。
小さい頃、家族で囲んだ鍋の中で、いつも私が狙っていたのはしいたけだった。
「お前、またしいたけばっかり食って」と父に笑われたけれど、
あの香ばしさと柔らかさが好きで、つい箸が伸びてしまった。
鍋のあと、しいたけの旨味が染みたスープで雑炊を作ると、それもまたごちそうだった。
卵を落とし、ねぎを少し散らすだけで、身体の芯まであたたまる。
「しいたけって、出汁になるんだよ」
母のその言葉を、大人になった今でもふと思い出す。
炭火の香りと、夜の記憶
大人になって、あの頃の味を思い出すように、
ある小さな居酒屋に入った。
古びた木の扉を開けると、炭の香りが鼻をくすぐる。
カウンターには数席だけ。
奥の七輪の上で、何かがじゅうじゅうと焼けていた。
壁の黒板には、白いチョークでこう書かれていた。
「今日のおすすめ:岩手産 原木しいたけ 炭火焼」
注文して待つ間、店主が炭を動かす音が心地よかった。
やがて運ばれてきた皿の上に、
傘を上にして焼かれたしいたけが2枚、静かに置かれている。
その上には、すだちの半月切りと少しの塩。
箸を入れると、傘の裏からじゅわっと汁があふれ、
炭の香りと一緒に、森の匂いが立ち上る。
一口食べると、しいたけの旨味が舌の上でゆっくり広がり、
焦げ目の香ばしさが後を追う。
「今朝、久慈の農家さんが持ってきたやつです」
店主の言葉に、胸の奥が温かくなった。
あのころ、母の鍋で煮えていたしいたけも、
もしかしたら、同じ森のどこかで育ったものだったのかもしれない。
炭火の揺らめきを見ながら、
私は小さな湯呑に注がれた熱燗を口にした。
しいたけの香りと日本酒の余韻が、
寒さの夜に溶けていく。
それは、派手さのない、静かな幸せだった。
土と人の記憶を食べるということ
岩手の食の魅力は、派手さではなく“丁寧さ”にあると思う。
誰かが育て、誰かがつなぎ、誰かが食べる。
その循環がゆっくりと回るからこそ、季節を感じることができる。
しいたけもそうだ。
森の木々が命を終えたあと、その木を使ってまた命が芽吹く。
木が朽ちて、菌が生まれ、人の食卓にのぼる——
それはまるで、自然と人間の間にある静かな約束のようだ。
「食べる」という行為が、単なる栄養補給ではなく、
土地や人の記憶を身体に取り込むことなのだと、しいたけを食べるたびに思う。
そして、どんなに忙しい日でも、あの香りを感じると、時間がゆっくりと戻ってくる。
家でもう一度、しいたけの煮物を
最近、久しぶりに母の味を思い出して、しいたけと鶏肉の煮物を作ってみた。
鶏もも肉を軽く炒め、だし・醤油・みりん・砂糖を加えて中火でコトコト。
そこに丸ごとのしいたけを入れる。
煮汁を吸って少し黒くなったしいたけが、照明の下でつやつやと光る。
味見をしてみると、少ししょっぱくて、でも懐かしい。
近所のスーパーで買ったしいたけなのに、不思議と故郷の味がした。
箸で割ると中から熱い汁があふれ、口の中に広がる香りは、
まさしく“森の贅沢”そのものだった。
静かな贅沢
しいたけを食べていると、いつも「静かな贅沢」という言葉が浮かぶ。
派手ではなく、主張しすぎない。
でも、確かにそこにある存在感。
それはきっと、岩手の人たちが大切にしてきた“暮らしのリズム”そのものだ。
冬を越すために干して保存したり、炭火で香ばしく焼いたり、
子どもが煮物の中で見つけて嬉しそうに食べたり——
そんな何気ない日々の積み重ねが、岩手の食文化を支えてきた。
料理の中のしいたけは、いつも脇役のようでいて、
実は味の軸を作る“縁の下の力持ち”。
それはまるで、岩手という土地の人たちの生き方そのものかもしれない。
森の香り、湯気の向こうに見えるのは、
母の背中か、囲炉裏の火か、それとも自分の原点か。
今日もどこかで、しいたけが静かに煮えている。
岩手の台所から立ちのぼるその湯気に、
“素朴の贅沢”がある。
