大船渡のさんま。——脂の海に、秋の静けさが映る。

大船渡のさんま。——脂の海に、秋の静けさが映る。

夜明け前の港に、ひと筋ずつ灯りが点る。
岩手・大船渡の空は群青色で、波の縁だけが白くほどけている。
やがてエンジン音が近づき、甲板に金属の触れ合う乾いた音が続く。
網が解かれ、銀の刃みたいなさんまが箱に滑り、砕いた氷が雨のように降る。
秋が来たのだと、町全体が同時に思い出す。

市場の通路を、長靴の足音が急ぐ。
一本ずつ手で持ち上げられたさんまは、腹のあたりが丸く、指に脂が残る。
「今年は悪くないぞ。」
そう言って笑う人の顔に、海の塩が白く乾いている。
立ちのぼる湯気の向こうに、今夜の食卓がもう見える気がした。

家に戻ると、台所に炭の匂いが満ちた。
七輪の上で網が温まり、塩をふったさんまをそっと置く。
最初は静かに、すぐにパチパチと脂が弾ける。
身が反り、皮が薄く割れて、銀が黒に変わっていく。
箸の先で軽く押すと、中から白い身がほろりと顔を出す。
大根おろしを山にして、醤油をほんの少し。
香りは強いのに、味はやさしい。
外の風は冷たいのに、ここだけは季節が止まったみたいに温かい。

大船渡のさんまは、焼くだけでは終わらない。
朝どれに出会えた日は、薄くそいで刺身にする。
透明に近い身に包丁を一度だけ入れて、皿の上で光らせる。
酢をほんの滴らせる家もある。
骨のまわりに残った身は、包丁で叩いてなめろうにすれば、米が足りなくなる。
翌日は、残った頭と中骨でつみれ汁。
生姜を効かせて、湯気を吸い込めば、海が体の奥まで静かに広がっていく。

港町の夕方、通りを歩くと、どこの家からも同じ音がする。
焼き網が鳴り、笑い声が混じり、窓のガラスがオレンジ色に揺れる。
「今年のは脂がのってる。」
誰かがそう言うと、テーブルの上の新米が少しだけ誇らしげに見える。
焦げた皮のほろ苦さ、脂の甘み、大根おろしの涼しさ、醤油の香り。
ばらばらのものが、ひと口の中でぴたりと重なる。
その瞬間にだけ、季節がはっきりと形を持つ。

もちろん、海は気まぐれだ。
豊漁の年も、不漁の年もある。
風が変われば、港の表情も変わる。
それでも岩手の人たちは、大船渡の人たちは、海に出る。
暗い海面に走る白い線を追い、同じ場所に帰ってくる。
焼き網の煙が上がり、台所の窓に湯気がかかる。
その当たり前が戻ってくるだけで、町は少しだけ静かに明るくなる。

さんまの皿を前に、手を合わせる。
骨まできれいにして、最後に温かい茶をひと口。
ふと、窓の外を見ると、港の灯りがいくつか残っていた。
派手じゃない。
豪華でもない。
けれど、確かに心が満たされていく。
大船渡のさんまは、そんな“静かな贅沢”を、今年もこっそり連れてきてくれた。