風が少し冷たくなってきたころ、
岩手の港町では、ひっつみ汁の季節がはじまる。
鍋の中で、手でちぎった小麦の生地がゆっくり踊る。
出汁の香りが立ちのぼり、
ごぼうや人参、きのこの甘い匂いが台所いっぱいに広がっていく。
ふつふつと煮える音を聞いているだけで、
体の奥からあたたかくなる気がする。
ひっつみ汁は、岩手の家庭ならどこでも出てくる料理だ。
決まったレシピがあるわけではない。
家によって具も味も少しずつ違う。
鶏肉を入れる家もあれば、
秋鮭のほぐし身を入れる家もある。
その日の冷蔵庫と、季節の匂いが味を決める。
どんなひっつみでも、
共通しているのは「人の手のぬくもり」だと思う。
指先でちぎるときの感触、
その少し不揃いな形が、なぜか心を落ち着かせる。
秋の岩手は、海の匂いと土の香りがまじり合う季節。
港では秋刀魚が光り、山ではきのこが顔を出す。
どちらの恵みも、ひっつみ汁の中でひとつになる。
海と山のあいだに暮らす人たちが、
それぞれの土地の味を分け合いながら生きてきた証のようだ。
外では風が吹き抜けて、
木の葉が舞っている。
けれど家の中は、湯気と笑い声で満たされている。
食卓に鍋を置くと、
誰かが自然と「おかわり」と言う。
その何気ない一言が、
この町ではいちばんの贅沢なのかもしれない。
ひっつみ汁を食べると、
人と人のあいだの距離が、ほんの少し近くなる。
派手なごちそうじゃないけれど、
心をほどくようなやさしさがある。
岩手の秋の味は、
きっとそういう「ぬくもりの形」なんだと思う。
